第1章 (イラスト無し)

第1部 市民参加の必要性に応える
第1章 背景

1、需要の広がり
(第1段落)建築とはコミュニティー全体に関する事柄である、というのは、古くからある考え方です。私たちの社会でも昔はそうでしたし、多くの発展途上国では今でもコミュニティーを作ることや納屋などを建てること、教会を建てることなどは、社会生活で大切な部分を占めています。彼らは単に建物を建てるだけではなく、コミュニティーの活力をも築き上げるのです。これらの社会では、コミュニティーの公共の建物がないということを社会的な退廃のしるしであると見なします。(注1)

(第2段落)現在、典型的なコミュニティーでは、人々は滅多に自分たちが使う公共の建物を建てる作業に参加することはありません。私たちの都会生活は、社会的な疎外と非人間的な環境で特徴づけられます。コ・デザインは、コミュニティーの人々を自分たちの環境をデザインするという作業に引き込むことによって、この動きに対抗しようという試みです。

(第3段落)歴史的に、コミュニティーに関わりを持つことは社会的、文化的な重要性が非常に高いとして認識されてきました。ケネス・クラーク卿は古い言葉を引用しています。

「1144年だと伝えられているが、まるで魔法のように塔が空へ向かって建てられていたころ、信仰深い人々は石を運ぶ荷車に体をくくりつけ、石切り場から大聖堂へとひっぱっていた。

情熱はフランス中に広がった。男たちも女たちも、労働者のためにブドウ酒や油やトウモロコシなど重い食料を持って遠くからやってきた。領主たちや貴婦人たちもいて、他の人たちと一緒に荷車を引いた。人々は完全に統制が取れた振る舞いをし、そこには深い静寂があった。すべての人の心が結びつき、誰もがそれぞれの敵を許した。」
(注2)

(第4段落)劇をするときやクリスマスツリーの飾りつけをするときなどには、私たちもこのような、共に何かを達成する感覚を味わいます。私たちは互いに対する好意的な感覚に輝き、互いに成功を祝い合い、それほどうまくできなかった者がいれば励まします。私たちのグループあるいは家族としての生命力が強まります。

(第5段落)コ・デザインのワークショップでは、私たちは同じ輝きを、参加者の間の友好的な感覚を、そしてコミュニティーの健全な生命力を目の当たりにします。共同的な創造性は、ないがしろにされていた公共の建物や広場に命を吹き込みます。器物破損行為はなくなります。芸術に社会が関わることの重要性について書いた文章の中で、フランク・アヴレー・ウィルソン(訳注:1914-2009 、イギリスの抽象画家)はこう述べています。

「個人が癒され、社会全体が癒される。個人の体と心の状態が癒されるに留まらず、グループや社会の関係全体の病への癒しが生じる。」(注3)

(第6段落)都市デザインと造園を含む建築は、その規模と社会的な影響の面で他のすべての芸術を超えています。特に公共の建築は社会に設定条件を提供し、私たちの日常生活の様々な側面で不可欠な役割を果たします。芸術における社会の関わりの源として、その大きさと恒常的かつ直接的な接触という点で、建築は他に比べるものがありません。公共の建築物のデザインは社会全体の生活に影響を与えるため、誰もが関心を持つ権利を有します。

(第7段落)デザインに参加した後は、人々はその成功に自分が貢献したことを誇りに思うことができます。そして、そのことについてのちのち何年も、日々、思い出すことができます。社会の中の建築物が人々の共通する価値観を反映するとき、人々はコミュニティーの一部であるという感覚を育むことができます。建築デザインへの参加は疎外感を打ち消します。

2、公共建築への関心の高まり
(第1段落)建築の公共の側面は昔から認識されています。ルネッサンス建築の創始者の一人であるレオン・バッティスタ・アルベルティは1450年代に建築は社会的な関心事であると書いており、建築が完全に公的な活動であるという見方をしたことで知られています(注4)。

1800年代の半ばには、ジョン・ラスキン(訳注:1819-1900、イギリスの芸術評論家)はこう主張しました(注5)。

「建築はすべての人が学ぶべき芸術である。なぜなら、それはそれはすべての人に関わる事柄だからである。」

1900年代の初めには、ウィリアム・モリス(訳注:1834-1896、イギリスのデザイナー)は次のように述べて、市民が建築に責任を負うよう促しました。

「建築の偉大さは、、、人の人生全体を包み込む。私たちは、自分たちに関わりのあることを一握りの学識のある人々に任せて、彼らに何から何までさせておくわけにはいかない。、、、私たち一人一人が(建築が)環境に対して公正であるか、そして私たちの街の住み心地の良さが確保されるか、ということに目を光らせていなければならない。」(注6)

(第2段落)今、私たちは一世紀に及ぶ公共教育のお陰で、比較的平和な世界と知識の高まりという新しい状況を手にしています。人々は自分たちの環境に対して発言権を要求しており、かつてないほど強く意思を主張します。アルヴィン・トフラー(訳注:1928年~、アメリカの評論家、未来学者)は、参加型民主主義について書いた文章の中で次のように述べました。

「状況は国によって違うが、適度に教育があり、全体としてこれほど多種多様な知識を備えた人々がいたことは、歴史上かつてなかった。これほど多くの人々が非常に高い水準の豊かさを楽しんだことはなかった。それは不安定ではあるかもしれないが、社会的な関心事や行動に時間とエネルギーを注ぐことができるようになるのに十分なほどの豊かさである。これほど多くの人々が外国に旅をしたり外国人と意思を疎通したり、他の文化からこれほど多くを学んだりしたことは、かつてなかった。」
(注7)

人々の知識と明確な主張がコ・デザインのエネルギー源となります。人々は、自分たちの住むコミュニティーをデザインするプロセスに参加するために、私たちに手助けを求めます。コ・デザインのプロセスは、そのような必要性に応じて、そしてデザインに関する議論の過程で生じる状況に応じて発達します。

伝統的な建築教育でも、建築の現場でも、市民と共にデザインをするためにはどうしたら良いかは教えられません。建築学の教育の場において、社会的な事柄やコミュニティーの組織化、大人数のグループと意思の疎通をするための方策と技術を含めた教育がなされる必要があります。同時に、高度な視覚化の技術が習得できるように訓練する必要がありますし、建築デザインの技能にはインテリアデザインや都市計画や都市デザインも含めなければなりません。コミュニティー・デザインに対する新しい見方に対応する新しいプロセスを開発する必要があります。

(第3段落)一面では、新しいプロセスは従来のやり方に反する場合もあります。例えば、間取り図に始まって完成予想図で終わる伝統的な建築コミュニケーションの過程を辿るのではなく、コ・デザインではその過程を逆に行います。

人が過去の記憶を呼び覚ますときは、それは心の目に浮かびます。未来の様子も同じようにして想像することができます。このように、未来の情景に関して意思の疎通を図るときに重要なのは視覚化です。コ・デザインのプロセスでは、見る人がその未来の情景の中で経験することを想像する手助けとなるよう、完成予想図を先に描きます。そうすることで、より良い理解をもってその場所のデザインに関する議論を深めることができます。情景がデザインされた後で、私たちは部屋なり空間なりの見取り図を描き、情景を説明し、それを立体化します。

3、伝統的なプロセスの危険性
(第1段落)提示された開発計画について行政府が市民に意見を求める際の伝統的な方法は、往々にしてデザインという目的に照らせば不十分なものです。一般投票、公聴会、意見交換会などは、コミュニティーデザインに関心のある人々の心に「デザインが本当にコミュニティーの人々の意見を反映したものになるだろうか」という疑念を残します。

これらの方法では、個々の市民が都市計画に参加したくても障害が多々あります。利害の対立は否定的な意見を促します。会議が行われることが十分に知らされない、情報の入手が間に合わない、などの原因で議題に関する理解が深まらないという問題もあります。一度に一人の人しか発言できないため、声が大きくて主張の強い人が発言権を握ってしまう、さらに、プロセスそのものに創造的なアイディアを視覚化する手段が欠けている、ということもあります。その結果、会議の産物はデザイナーにとってあまり役に立たないということになりがちです。

(第2段落)伝統的なデザインプロセスにおいては、市民計画委員会が小数の人々を選んでデザイナーと一緒に議論を行い、コミュニティーの代表として意思決定を行います。デザインに関する議論が進むと、この少数の人々は問題の事柄に関してコミュニティーの他の人々より多くの知識を持つことになります。議論をコミュニティー全体に広げるに当たっては、こうした伝統的なプロセスの問題点を避けるための議論の方法が必要になります。

もしもこの少数者のグループがうまく意思の疎通をすることができないと、人々は「このグループは自分たちとは遠い存在で、意見が固まっていて、コミュニティーのエリートの利害に叶うような行動をしている」と感じます。もっとひどいときには、彼らが自分たちの個人的な利益のために行動しているのではないかという疑いをかけられます。この小さなグループにとっては、市民との会議は恐ろしいものとなります。地域の中で利害の対立するグループが分裂して争うかもしれず、軽蔑と怒りの混じった嵐が吹き荒れるかもしれないからです。

3-1 板挟みになるデザイナー
(第1段落)伝統的な方法を使って公共の会議の場で都市開発計画を提示するデザイン関係者は、どちらに転んでも良い目にはあわない板挟みになることがあります。提示する内容が詳細であればあるほど批判も多くなります。絵や模型が良ければ良いほど、既に何でもかんでも決めてしまっている、と非難されます。こうなると怯えの感覚が忍び寄ります。肯定的な詳しい反応がないと、デザイン関係者は往々にして批判された要素を削除し、デザインの特徴を縮小させます。削ったものを他の何かで埋め合わせない場合も多々あります。

(第2段落)デザイナーたちは自分の考えていたことをだんだん言わなくなります。否定的な反応はデザインに関する意思決定を遅らせます。そして、認可の遅れはデザイン料金に食い込みます。公共の会議でデザインが却下されると、それはプロジェクト全体をデザインし直さなければならないことを意味しかねません。たいていの場合、デザインのやり直しまでする予算の余裕はありません。さらに、次のときに何が受け入れられるかを示す肯定的なヒントはありません。何を避ければ良いかという否定的なヒントがあるだけです。

(第3段落)会議が大失敗に終わると、市民に対するデザイナーの態度が悪化するという危険もあります。学校を出て活動を始めたばかりの若いデザイナーにとっては、特に市民のために都市環境を良くしようという強い情熱を持った若者にとっては、公共の会議での悲惨な経験は心に深い傷を残しかねません。市民参加のために更なる努力をしようという意欲も削いでしまいます。環境を利用する人が計画に参加することへの欲求が高まる中にあって、これは望ましい心構えとは言えません。

(第4段落)過熱して広く知られるようになった論議の只中に行政府や開発会社が開発計画を押し付ける場合は、失敗の値段は非常に高くなります。あるケースでは、大きな市民センターの計画でしたが、失敗で50万ドル(およそ5000万円)近くかかりました。このうち、およそ35万ドル(3500万円)は建築家に支払われた料金で、およそ10万ドル(1000万円)が一般投票に要した費用でした。この一般投票では、建築計画はあやうく撤回されるところでした。

そのようなケースでは、不人気な開発計画に取り組む建築家は論争と無駄金の源と見なされる危険があります。さらに、その地域の行政府や開発会社が将来的に、そのような公共の侮蔑にさらされた建築家を雇うことを軒並み躊躇する恐れがあります。

(第5段落)これらは、デザイナーが伝統的な方法でユーザーとのコミュニケーションを図った場合に負いかねない危険性です。デザインに関わる者はこれらの危険性を回避するための新しい方法を、緊急に必要としています。

4、私的なデザイン対話から公共のデザイン対話へ
(第1段落)従来の開発プロセスでは、開発の結果によって影響を受けるけれどデザインに関する議論に関係しない人々が疎外されます。子供たちは、ブルドーザーが彼らの遊び場だった空き地を更地にするとき、期せずして影響されます。彼らは、自分の人生の一部に対して自分が全く無力である、という事実に苦しみます。

大人もまた疎外感を経験します。彼らは自分の周りの環境に愛着を持ったり、少なくともそれに慣れ親しんだりします。そして建築家がやってきて、結果によって影響を受ける人々を議論に招かずに計画を立てます。環境が人生の一部になっているので、大人たちも子供と同じように、自分の人生に対して無力であるという感覚を得ます。

(第2段落)しかし、建築家が個人のクライアントと関わり、デザイン対話にクライアントを引き入れる場合には話が違います。建築家は、通常は個人のクライアントをデザインから疎外することはしません。クライアントが自分の新しい環境における新しい暮らしについて予見することを語り、建築家がデザインを形作り始めます。

デザイン対話では建設予定地の特性と制約を調べ、費用の優先順位を決定し、最後にデザイン条件を提示します。こうした対話はデザインの発展と成功に大きな役割を果たし、建築家はこれに細心の注意を払い、時間を取ります。

(第3段落)対話には特定の性質があります。話はクライアントが予見する暮らしの様子、彼らが日常の暮らしや特別のときにしているであろうことを中心とし、彼らがどういう暮らしをしたいかという予想図を描けるところまで続きます。

光、空間、動き、そして五感を通した知覚においてクライアントが好む環境を探すことに建築家は重点を置きます。デザイン条件についてクライアントと建築家の双方が完全な一致を見るまで、時期尚早なデザイン解決案は避けられます。クライアントの人生と建設予定地との関係の性質を理解するために、共に予定地を訪れて時間を過ごします。また、対話にはすべてのユーザーを含みます。家族の長だけではなく、普通は家族全員です。

(第4段落)私の長い建築経験では、いつもこうした配慮を重視してきました。もしもそれが軽視されるなら、トラブルが生じます。例えば、夫が妻の代わりに彼女の好むところを語ろうとする場合などです。クライアントが自分の考えを十分に吟味する前にデザイン案が出される場合も論争が生じます。

(第5段落)こうした対話の原則を無視した都市計画の実行は疎外を招きます。つまり、議論せずにアイディアを提示したり、予定地で実際に行われることになる暮らしのパターンの代わりにそれを無視した技術的な予定地データに依り頼んだり、統計的な調査に基づくデザイン条件に完全に依存したりする場合です。こういう方法は、デザイナーが必要な情報を集めるのには役立ちますが、創造的なコミュニティー参加という重要な要素が欠落しています。

5、都会での疎外を減らすための鍵
(第1段落)若い人も年配の人も、貧しい人も豊かな人も、無力な人も有力な人も、コミュニティーのすべての人がデザイン対話に参加することができるようにすることが、都会での疎外感を減らす鍵です。今日のデザイナーは、多数の市民に意見を聞かねばなりません。求められているのは、変化によって影響を受けるであろうすべての人に対してデザインに関する議論を開くことです。疑いもなく、これは非常に大きな仕事です。しかしそれは可能であり、私たちはそのためにここにコ・デザインのプロセスをご紹介します。

(第2段落)成功は、問題の解決法以上のものをもたらします。新しい秩序が生まれる、あるいは先述の引用文に沿った言い方をすれば、古い秩序が再び現れます。予期せぬ、そして歓迎されない変化への恐怖から開放されることによって、創造性を共有する高揚感が生まれます。それは、コミュニティーの中に夢が生まれ、それが調和へと発達するにつれて、喜びの高みとも言うべき経験になります。
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by ammolitering7 | 2013-06-19 11:43 | 「コ・デザインの手法」


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